別府温泉、地獄めぐり・間欠泉のお土産物売り場で購入した「やせうま」。
「やせうま」って何?
名古屋の「きしめん」のように、平べったい麺なんですが、
この麺は、2通りの食べ方があります。
前日に泊まった大分のJR九州ホテルブロッサムの朝食で、
この2種類とも出ていました。
一つは麺をきなこでまぶしたものです。(お土産に購入したものを自宅で作りました)
もう一つは、おみそ汁の具にしたもので、
大分県ではそれを「だんご汁」と呼ぶそうです。
きなこでまぶした「やせうま」は、デザート感覚
「だんご汁」は、主食のような感じで頂きました。
それにしても「やせうま」って面白いネーミングですね。
面白いネーミングなので、少し調べてみました。
「やせうま」の由来
大分県の「やせうま」には、いくつかの由来があります。
・都から藤原鶴清麿という幼い貴族が豊後の国に下向し、
古野下原(現在の由布市挾間町古野地区等))に隠れ住んでいました。
鶴清麿の身の回りの世話をする女性は、京都の八瀬(やせ)の出身で
「やせ」と呼ばれていました。
『挾間町誌』では、大原八瀬とフルネームで記載されています。
余談ですが、京都の大原と八瀬は目と鼻の先です。
大原は左京区の山の中に位置しますが、大原に行くとき
白川通りを東に入っていきますが、東に入った所一帯を「八瀬」と呼ばれています。
鶴清麿と共に妙蓮寺の地蔵菩薩を参詣するときに、
鶴清麿のお腹が空くと、八瀬は小麦粉をこね、長く伸ばして麺状にしてゆで、
これにきな粉をまぶしたものを作って、鶴清麿に食べさせたといわれています。
鶴清麿は、このお菓子を食べたいときに「八瀬、うま。八瀬、うま。」と言ったそうです。
この「うま」と言うのは、今で言う幼児語の「まんま」に当たる言葉で
それがなまって「やせうま」と呼ばれるようになったそうです。
妙蓮寺では、現在でもお盆の23日には御施餓鬼会の行事の一環として、やせうまが作られています。
そして由布市挾間町古野に、挾間町誌を抜粋した『やせうま発祥の地由来』の看板があります。
出典ウィキペディア
旅と言うのは、その土地土地の風習に触れることができるのが
旅のだいご味ですね。
「やせうま」を調べていると、「やせうま」というのは大分県だけでなく
他県にもあるということがわかりました。
やせうま(福島県会津) – 2月15日の涅槃会に供える団子。
やせうま、やせごま(新潟県佐渡) – 2月15日の涅槃会に供える団子や三月の桃の節句に供える彩色模様入りの糝粉餅(しんこもち)。
やしょうま(新潟県) – 2月15日の涅槃会に供える団子。
やせうま(静岡県川根) – 繭玉のような形にして、小豆あんをまぶした草餅。
やせうま(兵庫県加古郡) – 団子。指でひねり押さえた物。
やせうま(千葉県安房郡) – 茗荷の葉に小麦粉をまぶして焼いた食品。
出典ウィキペディア
福島県会津・新潟県佐渡・新潟県を見てみると
お釈迦様が涅槃に入られたときの法要、涅槃会に備える団子として伝わっています。
形状は大分県のものとは違いますが、もともとは仏教由来のものなのでしょうか、
今も仏教の行事に使われているようです。
別府には、お店で食べさせてくれるところ、
そして給食で出されたり、スーパーで生麺・乾麵が売られているそうです。
このほかに、かりんとうのような形で、お菓子売り場にも売られているそうです。
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